「普通」の呪縛
「私はAKさん以外の職場の人とは本音で話せない」
昨日、2年ぶりに職場の同僚の女性と食事した時に、言われた。
海外生活が長い彼女。確かに発想や雰囲気が日本人としては個性的なところはある。
で、日本に帰ってきてから人に言われる「普通の人は/奥さんは/女性は・・・」という、見えない「普通」と比べられるのが大嫌いなんだそうだ。
職場も、家族も、日本人は多かれ少なかれみんなそういうことを言うから、耐えられないのだ、と。
で、(本当は他にもいるのだろうけど彼女の眼には)僕だけは、「変な人」という色眼鏡なしで接してくれるから、安心して本音が言えると言う。
・・・・・・・・・・・・・
最近、「多様性を受け入れることって大事だよね」という言説をよく耳にする。
その通りだと思う。
「人間としての成長は多様性を受け入れられるようになること」だと、今では確信的に思う。
例えば子育ての場では、これが「子供を他人と比較しちゃいけないよ」となる。
確かにやっちゃいけないことだと思うし、そう認識している人も多いはず。
もちろん、子育て以外でも言えることで、「友達の奥さんと比べてオマエは・・・」なんてリスペクトのない言葉を言われたら、普通の奥さんならキレるわな。
・・・ただ、特定の他人ではなく「普通の人」と比較することだって、実は他人と比較するのと同じなんだよね、ってことに気付いている人は、意外と少なくないかい?
他人とは比較していないつもりでも、あるべき「普通」だとか「理想」だとかを頭の中で作って、そこと比較するのって同じだと思うわけさ。
で、「普通」ってなんだよ。「普通」な人って誰だよ。「普通」な男、妻、母親、社会人って、どんなだよ、というね。。。
・・・・・・・・・・・・・
でも、さらに根っこのところをいくと、そうやって「普通」と比べる人は、長い人生の中で、その人自身も外から知らず知らずのうちに与えられた(存在しない)「普通」や「理想」とのギャップに苦しみ、何かを削って生きてきたんだろうなー、と最近思うようになった。
最初はおかしいと思いつつも頑張って「普通」になった人は、それが当たり前の価値観として形成されているので、「変な人」には寛容になれない。イコール「変な人」を嫌いになるということはないにしても、時に不満を持ったり、時に横目で見たり、時に見下したり、時に嘲笑ったり。。。
一方で、「普通」になれなかった人は、何か自分が特別の(多くの場合はダメな)人間だと思ってしまい、卑屈になったり、自信を失ったり、閉じこもったりする。少なくとも、誰も自分のことを理解してくれないと思ってしまう。
・・・いいのかね、これで?
「普通」であることにしがみついたり、プレッシャーを感じたりしているんだったら、そんなのやめちゃえばいいんだ。
ありのままの自分に向き合えないなら、他人の多様性だって受け入れることなんてできないさ。
もっと、自分にも、他人にも、ラクになったらいいのに。
つまらんことに気を使うくらいなら、心の声に正直に、自分の道を突き進めばいいんだよ。。。
・・・・・・・・・・・・・
幸い、僕は「普通」でないこと自体については寛容な方らしい。世の中のルールとか社会の目とか人の意見とか気にせず、「人間らしいよね」でフラットに受け止めてしまうところがある。
一方で、人の好き嫌いは多いような気がする。苦手な人でも受けいれる心の余裕というか、人間としての器は小さいんだろうなーとも思う。優しくも冷たくも、繊細にも無関心にも、矛盾なく、なる。
ただ、せっかく僕自身が「普通」の呪縛が弱いんだから、もっと器の大きい人間になって、色々な人を受け入れられるようになれればいいのになー、ってね、思うことがあるんだわ。
・・・もちろん、全ての苦手な人を好きになれるとかならなくちゃいけないとかまで思ってはいない。
ただ、本人が気付かないうちに「普通」の呪縛に囚われてしまい、それが僕の苦手な原因になっている人がいるんだとしたら、僕の価値観を押し付けるでもなく、一歩引いて心の声を聞いてあげて、その呪縛を解きほぐしてあげられるようになれれば、と、思う。
人それぞれだけど、僕にとって人間の器を大きくすると言うことは、そういうことなのかな、こうやって始まるのかなって。
そんなことを、35歳の誕生日を契機に、ぼんやりと考えてみた。
40歳に向けてのテーマの一つ。
みんな普通で、みんな特別だよ。
他人と比べてないかい?
「普通」と比べてないかい?
昨日、2年ぶりに職場の同僚の女性と食事した時に、言われた。
海外生活が長い彼女。確かに発想や雰囲気が日本人としては個性的なところはある。
で、日本に帰ってきてから人に言われる「普通の人は/奥さんは/女性は・・・」という、見えない「普通」と比べられるのが大嫌いなんだそうだ。
職場も、家族も、日本人は多かれ少なかれみんなそういうことを言うから、耐えられないのだ、と。
で、(本当は他にもいるのだろうけど彼女の眼には)僕だけは、「変な人」という色眼鏡なしで接してくれるから、安心して本音が言えると言う。
・・・・・・・・・・・・・
最近、「多様性を受け入れることって大事だよね」という言説をよく耳にする。
その通りだと思う。
「人間としての成長は多様性を受け入れられるようになること」だと、今では確信的に思う。
例えば子育ての場では、これが「子供を他人と比較しちゃいけないよ」となる。
確かにやっちゃいけないことだと思うし、そう認識している人も多いはず。
もちろん、子育て以外でも言えることで、「友達の奥さんと比べてオマエは・・・」なんてリスペクトのない言葉を言われたら、普通の奥さんならキレるわな。
・・・ただ、特定の他人ではなく「普通の人」と比較することだって、実は他人と比較するのと同じなんだよね、ってことに気付いている人は、意外と少なくないかい?
他人とは比較していないつもりでも、あるべき「普通」だとか「理想」だとかを頭の中で作って、そこと比較するのって同じだと思うわけさ。
で、「普通」ってなんだよ。「普通」な人って誰だよ。「普通」な男、妻、母親、社会人って、どんなだよ、というね。。。
・・・・・・・・・・・・・
でも、さらに根っこのところをいくと、そうやって「普通」と比べる人は、長い人生の中で、その人自身も外から知らず知らずのうちに与えられた(存在しない)「普通」や「理想」とのギャップに苦しみ、何かを削って生きてきたんだろうなー、と最近思うようになった。
最初はおかしいと思いつつも頑張って「普通」になった人は、それが当たり前の価値観として形成されているので、「変な人」には寛容になれない。イコール「変な人」を嫌いになるということはないにしても、時に不満を持ったり、時に横目で見たり、時に見下したり、時に嘲笑ったり。。。
一方で、「普通」になれなかった人は、何か自分が特別の(多くの場合はダメな)人間だと思ってしまい、卑屈になったり、自信を失ったり、閉じこもったりする。少なくとも、誰も自分のことを理解してくれないと思ってしまう。
・・・いいのかね、これで?
「普通」であることにしがみついたり、プレッシャーを感じたりしているんだったら、そんなのやめちゃえばいいんだ。
ありのままの自分に向き合えないなら、他人の多様性だって受け入れることなんてできないさ。
もっと、自分にも、他人にも、ラクになったらいいのに。
つまらんことに気を使うくらいなら、心の声に正直に、自分の道を突き進めばいいんだよ。。。
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幸い、僕は「普通」でないこと自体については寛容な方らしい。世の中のルールとか社会の目とか人の意見とか気にせず、「人間らしいよね」でフラットに受け止めてしまうところがある。
一方で、人の好き嫌いは多いような気がする。苦手な人でも受けいれる心の余裕というか、人間としての器は小さいんだろうなーとも思う。優しくも冷たくも、繊細にも無関心にも、矛盾なく、なる。
ただ、せっかく僕自身が「普通」の呪縛が弱いんだから、もっと器の大きい人間になって、色々な人を受け入れられるようになれればいいのになー、ってね、思うことがあるんだわ。
・・・もちろん、全ての苦手な人を好きになれるとかならなくちゃいけないとかまで思ってはいない。
ただ、本人が気付かないうちに「普通」の呪縛に囚われてしまい、それが僕の苦手な原因になっている人がいるんだとしたら、僕の価値観を押し付けるでもなく、一歩引いて心の声を聞いてあげて、その呪縛を解きほぐしてあげられるようになれれば、と、思う。
人それぞれだけど、僕にとって人間の器を大きくすると言うことは、そういうことなのかな、こうやって始まるのかなって。
そんなことを、35歳の誕生日を契機に、ぼんやりと考えてみた。
40歳に向けてのテーマの一つ。
みんな普通で、みんな特別だよ。
他人と比べてないかい?
「普通」と比べてないかい?
この記事へのコメント
とくに、幼少の頃から海外でのびのび育つと、強く「彼女」のように感じる傾向があると思います。
日本人は、いろんな事に「普通は…」と言うのが好きだから、余計、感じられるのでしょう。
私も4歳からアフリカやヨーロッパで過ごしたためか、「私の考え、感覚はおかしい?」と思うことはあります。
しかし、自分の考え方に前提や根拠が明確にある、人に説明できるならば、自分に対してビミョーに感じる必要はないです。
「普通は…」とおっしゃる日本人の大半は、トピックに対する前提や定義が曖昧なケースが多いです。(私の経験上ですが)
AKさんの職場(業界)は柔軟な発送や価値観を持った方が多そうなイメージを持っておりましたので、「彼女」のようなご発言が出ることは新鮮に感じられました。
人間の価値は平均とのずれから生まれる
http://yokichi.com/2010/05/post-275.html