新たな船出
1年前の誕生日に書いたエントリーを見返しながら、36歳の誕生日を迎えた今月、この1年の変化と、新たなチャレンジを始めるこれからの人生についてぼんやり考えている。
https://oxfordmba.seesaa.net/article/201006article_1.html
1年前に書いた決意めいたモノはまったく実現できておらず、相変わらず人間としての心の器は小さいままに生きている。それでも、会社や家庭だけに留まらず、会社の外での人間関係に主体的に向き合ってきた結果か、たくさんの出会いに恵まれた。留学から帰ってきての半年はあまりの激務に一切友達と会う事もなく過ごしていたが、ちょうど昨年の今くらいから仕事も落ち着いて時間的余裕ができた。
そして、たくさんの友人ができた。
最近つきあっている友人たち。「何のつながり?」と聞かれても困るし、新しい知人からそういう質問が出るとみんなニヤッとして終わりだ。実際のところ、Blog経由だったりTwitter経由だったりNPO関連だったり、まあ色々。でも、何かに一緒に所属している場合の方が少ない。
留学前からの友人というのは、だいたい何かの所属が一緒だった友人だ。会社だったり学校だったり部活だったり。一緒に飲みにでも行けば、山のような共通の話題で、それが何年も昔の話題であっても楽しく語れる。苦楽を共にした、「仲間達」とも言える。
じゃあ「彼らとは価値観が近いんだね」と聞かれると、意外とそうでもない。例えばラグビー部の友人が僕の仕事やプライベートの生き方やその他もろもろに共感するかというと、必ずしもそうではないだろう。だから良い/悪いというものでもないが、実際にそう感じる。
一方、最近つきあっている友人は、別になんら苦楽を共にしていない。ごく一部の人を除けば、数えるほどしか会った事がない。Twitterを通じて日常的に「価値観」に触れる事が多いから実際に会わなくてもお互いの理解はしやすいということがもちろん大きいのだが、友人の友人とも意外と簡単に友達になってしまう。
深い友達なのかというと、よくわからない。お互いのことはそれほど知らなかったりする。でも、不思議と、妙に不思議と、信頼できてしまっている。生き方も価値観もバラバラなような気がするのだが、何かこう、とっても大事なところの価値観だけは共有できているような感じがするんだ。
冷静に考えれば大して不思議なことでもなく、Twitterなどのソーシャルメディアや、NPOなどのソーシャルアクションを通じて出会いの数が圧倒的に増え、その中で自動的にスクリーニングされたからというだけの話なんだろう。そうだとすると、家庭と職場と「もうひとつ」を欲すればそんな出会いはいくらでも出てくる。同じように考えている人たちがたまたま集まったと言える。
なんか、前置きが長くなった。
本題。
今月一杯で、7.5年勤めたプライベートエクイティーファームを退職します。
今後については、まわりの友人にはだいぶ話しているけれど、もう少し落ち着いたらまた書きます。なんにせよ、僕らしく行こうと思っているよ。
あるタイミングから次のチャレンジについて模索していたのだけど、新しいチャレンジをすることについて前向きにしてくれたのも、いまこの瞬間応援してくれている人たちも、この1年くらいで知り合った友人たちばかりだ。
感謝感謝です。
PEの仕事についてはすごく好きで、社会的に意義深いものでもあり、なんとかこの業界がもう一回成長路線に戻ってほしいと思っているし、その中心に今の勤務先があれば本当に嬉しい。個人的にも、28歳の若さから普通ではできないような濃い経験をさせてもらって、本当にありがたかった。いつか歳をとって人生を振り返るときに、今の会社の経験が原点である、となると思う。
新しい船出は不安がいっぱい。自由は、孤独。でも、人間の成長(曖昧な言い方だけど。。)は自分自身が主体的に下した決断の質と量に比例するのではないか。ぼんやりと、そう思っている。
それが確信に変わるまで、頑張ろう。

Coming home / Kiwi Mikex
https://oxfordmba.seesaa.net/article/201006article_1.html
1年前に書いた決意めいたモノはまったく実現できておらず、相変わらず人間としての心の器は小さいままに生きている。それでも、会社や家庭だけに留まらず、会社の外での人間関係に主体的に向き合ってきた結果か、たくさんの出会いに恵まれた。留学から帰ってきての半年はあまりの激務に一切友達と会う事もなく過ごしていたが、ちょうど昨年の今くらいから仕事も落ち着いて時間的余裕ができた。
そして、たくさんの友人ができた。
最近つきあっている友人たち。「何のつながり?」と聞かれても困るし、新しい知人からそういう質問が出るとみんなニヤッとして終わりだ。実際のところ、Blog経由だったりTwitter経由だったりNPO関連だったり、まあ色々。でも、何かに一緒に所属している場合の方が少ない。
留学前からの友人というのは、だいたい何かの所属が一緒だった友人だ。会社だったり学校だったり部活だったり。一緒に飲みにでも行けば、山のような共通の話題で、それが何年も昔の話題であっても楽しく語れる。苦楽を共にした、「仲間達」とも言える。
じゃあ「彼らとは価値観が近いんだね」と聞かれると、意外とそうでもない。例えばラグビー部の友人が僕の仕事やプライベートの生き方やその他もろもろに共感するかというと、必ずしもそうではないだろう。だから良い/悪いというものでもないが、実際にそう感じる。
一方、最近つきあっている友人は、別になんら苦楽を共にしていない。ごく一部の人を除けば、数えるほどしか会った事がない。Twitterを通じて日常的に「価値観」に触れる事が多いから実際に会わなくてもお互いの理解はしやすいということがもちろん大きいのだが、友人の友人とも意外と簡単に友達になってしまう。
深い友達なのかというと、よくわからない。お互いのことはそれほど知らなかったりする。でも、不思議と、妙に不思議と、信頼できてしまっている。生き方も価値観もバラバラなような気がするのだが、何かこう、とっても大事なところの価値観だけは共有できているような感じがするんだ。
冷静に考えれば大して不思議なことでもなく、Twitterなどのソーシャルメディアや、NPOなどのソーシャルアクションを通じて出会いの数が圧倒的に増え、その中で自動的にスクリーニングされたからというだけの話なんだろう。そうだとすると、家庭と職場と「もうひとつ」を欲すればそんな出会いはいくらでも出てくる。同じように考えている人たちがたまたま集まったと言える。
なんか、前置きが長くなった。
本題。
今月一杯で、7.5年勤めたプライベートエクイティーファームを退職します。
今後については、まわりの友人にはだいぶ話しているけれど、もう少し落ち着いたらまた書きます。なんにせよ、僕らしく行こうと思っているよ。
あるタイミングから次のチャレンジについて模索していたのだけど、新しいチャレンジをすることについて前向きにしてくれたのも、いまこの瞬間応援してくれている人たちも、この1年くらいで知り合った友人たちばかりだ。
感謝感謝です。
PEの仕事についてはすごく好きで、社会的に意義深いものでもあり、なんとかこの業界がもう一回成長路線に戻ってほしいと思っているし、その中心に今の勤務先があれば本当に嬉しい。個人的にも、28歳の若さから普通ではできないような濃い経験をさせてもらって、本当にありがたかった。いつか歳をとって人生を振り返るときに、今の会社の経験が原点である、となると思う。
新しい船出は不安がいっぱい。自由は、孤独。でも、人間の成長(曖昧な言い方だけど。。)は自分自身が主体的に下した決断の質と量に比例するのではないか。ぼんやりと、そう思っている。
それが確信に変わるまで、頑張ろう。

Coming home / Kiwi Mikex
この記事へのコメント
30代半ばに差し掛かり、昔の同級生との繋がり、仲間というもについてちょうど考えていた頃です。
で、「最近どんなことされているのかなぁー」なんて気になっていたところで今回の発表聞いて驚きました。「驚いた」というのは語弊があり、「今のままでは納まらない」とは常々感じていましたのでタイミングの意味です。
またきっと「すごいこと」するんだろうなと期待しています。頑張ってください。
今後のご活躍、期待していおります